清水善行 | ShimizuYoshiyuki

「土地に根ざした作陶」


清水善行

童仙房に居をかまえて30年近く。自ら築いた薪窯で、焼きものをしています。用いるのは、地元の土や旅先で出会った土を掘って、整えた粘土。釉薬は自宅の薪ストーブの灰で作り、薪は山から切り出してきた木を使っています。土にはじまり、焼きものができるまで、すべてが土地からの恵みです。童仙房の粘土はいくつか種類がありますが、必ずしも扱いやすいわけではありません。粘りが少なかったり、石が混じっていたり。つくりたい形があっても、ここの土ではできにくいこともあります。でも、そこに他の土地の粘る土を混ぜたりはしません。土の個性が薄れるから。土の限界を知って、素材を生かす、というやりかたです。それはまた、素材から受け取る印象を、どのように形にできるか、というせめぎ合いでもあります。

20代後半で独立し、童仙房にやってきました。その前に2年ほど、佐賀県にある黒牟田焼の工房にいました。環境が素晴らしかった。小さな集落で、家が6軒しかないうちの2軒が作陶をしていました。きれいな川があって、のどかな美しいところでした。その工房には、民藝の雰囲気が立ち込めていた。その中で、焼きものを生業とする意味を考え続けました。いったい自分は、何をやりたいのか。

ある日、工房の近くで粘土を見つけました。ぐい呑のようなものを作って、登り窯に入れさせてもらった。それが僕の出発点です。土を掘ってきて、登り窯で焼く。原始的なことから焼きものにアプローチしていくほうが、未知数な感じがあって、枠におさまらず仕事していけるように思えたのです。

童仙房に来てからは、最初に穴窯を築きました。登り窯よりも古くからある、原始的な窯です。焼きものを始めた頃に、信楽の室町時代の壷を見て感動しました。素朴であっさりしているのに、印象深く、飽きることがない。そんなものを自分も焼いてみたいと思ったのです。誰に教わるわけでもなく、たくさん失敗もしてきました。でも、それからずっと、土を探しては形にして、さまざまな焼きかたを試しています。飽き性の自分が、なぜ焼きものを続けているのか。それは、ほぼ、思った通りにはならないからかもしれません。

清水善行
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焼きものを続けてきて、節目節目で大切な人との出会いがありました。ひとりは、料理人の佐々木志年さんです。店を持たない出張料理人で、誰かの家やギャラリーなどでの食事会に呼ばれていって、料理をされていた。全国各地を飛び回っておられました。彼の仕事は独特でした。仕入れから仕込み、おもてなしとすべてに全力投球で、その程度が尋常ではないのです。人のためにどれだけ尽くせるか、それがご自身の生きる本質であるかのように。佐々木さんはいつも、何気ないものをよく見てくださいね、と言っておられた。禅問答のごとく、こちらに考えさせることを。ご一緒する中で、物事をいろんな角度で見ていける種をいただいたと思っています。また、佐々木さんは美術や工芸もよくご存知でした。八木一夫さんのような前衛的な芸術家ともお付き合いがあった。知らない世界を見せてくださって、触発されました。古典的な焼きものづくりを、今の時代の人間だからできることでやってみたい。そして、広がりをもった表現をしたい。そう思うようになりました。

もうひとりは、三澤覚蔵先生です。戦後、日本が復興していく時代に、美術の力で人の心を豊かにしたいと尽力された方です。多摩美大の教授でもありました。知り合った当時は、信楽の山中にある一軒家に住んでおられた。焼きものは「趣味」とおっしゃいましたが、そんなレベルではなかった。焼き味も見たことのないような凄みがありました。先生が陶芸の話をしてくださったのは、初めてお訪ねしてからずいぶん時間が経った頃でした。土も窯も違うんだから、自分でやるしかないんだよ、と。そして、僕に問いかけました。「焼きものをやって、金持ちになりたいの? いいものをつくりたいの?」この時、「いいものをつくる」ことが根底にある道を歩みたいと思いました。安定的に焼ける道があり、需要があっても、新しいことにも挑戦していきたい。どうやったらよく焼けるか、未だにわからないままなのですから。

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手で何か作るというのは、体が憶えることでもあります。土をさわって、形づくる。繰り返し、反復しながら、ものづくりの原点を見るような思いがあります。焼いているのは、白磁や焼締、粉引、刷毛目などが中心です。

僕の器は「重さがある」と言われます。見ためより、重たく感じる、と。確かにそうかもしれません。李朝などの古い器も数多く見てきて、器というのは、ある程度重いものだろう、と思っているから。もっというと、「重さが持っている形」があるとも思っています。重さの中に形が秘められていて、それが見えてくるような。花入などの存在感も、そこから来ていたりするのではないでしょうか。また、器には、ぱっと見た時の印象とともに、さわって、触覚から伝わってくるものがあります。ずいぶん昔ですが、ある李朝の器を手に取った時、その重みと感触に魅力を感じました。その限界のようなところをやってみたいのです。

僕は土器も手がけます。釉薬をかけず、低温で焼くのですが、素材のやわらかい雰囲気が訴えかけてきます。用をなすかどうか、という次元とは少し違って、目の前にあると、気持ちが穏やかになり、和むのです。素材の圧倒的な力に敬意を払っていますし、大切にしたいと思っています。

新しい何かを作り始めるまでには、イメージする時間があります。図面は描きませんし、形を思い浮かべるわけでもない。抽象的ですが、自分がそのイメージの中に溶け込んでいき、一緒にふくらんでいくような。焼きもののバックボーンというか、心情のような部分かもしれません。

清水善行
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2021年に割竹式登り窯を築きました。数ある登り窯の中でも、この様式は最も原始的です。かまぼこのような形状で、一般的な登り窯のように内部を区切っていません。この形を選んだのは、ひとつの窯をフレキシブルに使いたいと思ったからです。釉薬ものは窯の中に壁を作り、いくつかの部屋に分けて、焼締の時には空間を区切らず、長い部屋のようにして焼きます。電気やガスの窯が普及する一方で、昔ながらの薪窯が今も使われているのは、そのやり方でできるものに魅力があるからだと思います。僕の場合、一度に2,000個ほどの器を窯に入れます。ろくろを引いている時から、窯のどこに、どう置こうか、どう焼きあげようかと想像をめぐらせています。窯に火を入れてからは、煙の色や匂いなどを確かめつつ、炎の調整をしていきます。

しかし、なかなか、こちらのいうことは聞いてくれません。この窯が正解なのか不正解なのか、まだわからない。ただ、コントロールはできないけれど、それ以上のものが焼けるのです。そういうところに面白さを感じて、僕は日日、土と向き合っています。その過程をひとつ、ひとつ地道に進めながら、作るものに常に誠実でありたいと思っています。

焼きものを通して、多くの人と出会っています。今を生きている人たちと、器を介して話をすることができる。そして、その方々が器を持ち帰って、ご自身の場所で使ってくれる。童仙房でろくろをまわしながら、世界の広がりを実感しています。

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